~ この話はフィクションなのじゃ ~
おいらは最近、 トレード練習について冷静に考えるようになったんじゃ。
練習するべきか。 練習しないべきか。 このテーマはトレーダーなら誰もが通る道なんじゃ。
練習しなくていい理由はすでに整理できているんじゃ
まず前提として、 おいらは「練習しなくていい理由」を論理的に整理しているんじゃ。
手法が決まっていない場合
手法が決まっていないなら、 何を練習すればいいのか分からないんじゃ。 方向性がない状態で練習しても、 それが正しいのか判断できないんじゃ。
だから練習は不要なんじゃ。
手法が決まっている場合
逆に手法が決まっているなら、 練習は必要ないんじゃ。
軸があるなら、 あとはその軸を守るだけなんじゃ。 練習で迷いを増やす必要はないんじゃ。
だから練習は不要なんじゃ。
つまり──手法が決まっていても、いなくても練習不要なんじゃ
これはおいらの中で すでに“論理的に証明された事実”なんじゃ。
だからおいらは練習しない。 これは合理的な判断なんじゃ。
練習しなくていいなら、 その時間をトレードに使えばいいんじゃ
毎日がチャンスなんじゃ。 なら毎日、無我の境地で実際にトレードする方が自然なんじゃ。
練習は不要。 でもトレードなら、 毎日がチャンスになるんじゃ。
もっとよいことに気が付いたんじゃ
おいらは最近、もっとよいことに気が付いたんじゃ。
無我の境地でトレードすること。
手法が決まっていようが、 決まっていまいが、 そんなことはどうでもいいんじゃ。
意味あるかどうかなんて、 考えるだけ無駄なんじゃ。
ただ、 毎日がチャンスだから、毎日無我の境地でトレードする。
これが最も自然で、 最も効率的で、 最も精神に負荷がないんじゃ。
無我の境地で得られるものは何か
おいらは無我でチャートを流してみたんじゃ。 目的もなく、方向性もなく、ただ流すだけ。
すると── 気が付いたんじゃ。
無我の境地で得られるものは、また虚無だったんじゃ。
「これ、もしかして正解かもしれないな」
それでも無我の境地でトレードしてみるんじゃ
虚無しか得られないと分かった。 意味がないと分かった。 方向性がないと分かった。
でもおいらは、 それでも無我の境地でトレードしてみるんじゃ。
理由は簡単なんじゃ。
毎日がチャンスだからなんじゃ。
虚無でもいい。 意味がなくてもいい。 ただチャートを流していると、 “何かしている感”があるんじゃ。
それが精神にとって自然なんじゃ。
まとめ

- 手法が決まっていない → 練習不要
- 手法が決まっている → 練習不要
- つまりどっちでも練習不要
でもおいらは、 もっとよいことに気が付いたんじゃ。
毎日がチャンスだから、 無我の境地でトレードしてみるんじゃ。
虚無でもいい。 意味がなくてもいい。 ただトレードする。
おいらはそれを選ぶんじゃ。
