アービトラージという言葉そのものを、この場所からそっと遠ざけておきたいと感じることがあります。
存在を否定したり、扱わない理由を語ったりすることすら、その概念が持つ独特のノイズやリスクの気配を呼び込んでしまうような気がするからです。触れない旨を理由とともに明記することすらやめて、はじめから話題に挙げない。
言葉にしないでおくことで、そのテーマは最初から存在しなかったかのように静かに背景へと退いていきます。監視の目や規約の境界線を気にする必要すらなくなり、思考の領域から余計な警戒心がすっと消えていくのを感じます。
あえて触れず、意識の表層からもそっと外しておくこと。
境界線を踏まないように慎重に歩くよりも、その道自体を選ばないことの方が、ずっと穏やかで自由な余白を生み出してくれます。アービトラージという言葉から静かに距離を置くことの中にこそ、一番の安心が守られているのかもしれません。