ゼビウスという名前を聞くと、まず思い出すのは自機のソルバルウです。
画面は上へ流れ続けます。
敵を撃ち、避け、先へ進む。それだけを説明すると、ごく普通のシューティングゲームにも見えます。
けれど、ゼビウスには少し違う空気がありました。
地上には模様のような風景が広がり、ときどき見慣れない構造物が現れます。敵を倒すことが目的のはずなのに、どこか未知の土地を飛んでいる感覚がありました。
ゲームなのに、観光に近い。
そんな不思議な時間です。
子どもの頃は意味など考えません。
目の前の敵を撃ち、弾を避けるだけです。
それでも遊んだ記憶を振り返ると、残っているのは点数ではありません。地上の模様や、遠い文明の跡のような景色です。
ゼビウスには物語があります。
しかし多くの人は、その物語を知らないまま遊んでいました。
知らなくても成立してしまう。
それなのに、背景には何か大きな世界がありそうな気配だけが漂っている。
その曖昧さが想像を広げたのかもしれません。
考えてみると、私たちは日常でも同じような景色を見ています。
詳しくは知らない。
けれど、何か理由や歴史がある気がする。
そんな場所を通り過ぎながら暮らしています。
ゼビウスの空を飛んでいた時間は、敵を倒す時間であると同時に、知らない世界を眺める時間でもありました。
だから記憶に残るのは戦闘ではなく風景です。
あのゲームは、撃つためのゲームでありながら、どこか空を見上げるためのゲームでもあったのかもしれません。