『信長の野望』のような戦略ゲームには、「陰謀」「謀略」「謀反」といった要素が登場します。
敵国を弱らせたり、相手の内部を混乱させたり、自分に有利な状況を作ったり。ゲームによって効果は違いますが、使えるものなら積極的に使いたくなる人もいるでしょう。
正面から戦うだけが戦略ではありません。相手の裏をかくことも、立派な作戦です。
ゲームを遊んでいると、こうした考え方に特に違和感はありません。
では、現実の社会ではどうでしょうか。
現実では、なぜ考えなくなるのか
現実でも、人は自分に有利な状況を作ろうとします。企業が競争相手に勝とうとしたり、組織が自分たちの利益を守ろうとしたりするのは、ごく普通のことです。
複数の人が協力して計画を立てることもあります。
ところが、現実の話で「陰謀」という言葉が出てくると、急に怪しい話のように受け取られることがあります。「陰謀論」という言葉も、よく使われます。
もちろん、陰謀論と呼ばれる主張がすべて事実というわけではありません。根拠のない話もあるでしょう。
ただ、ここで少し不思議なのは、ゲームでは自然に受け入れている人間の行動が、現実では途端に考えにくいものになってしまうことです。
ゲームでは、敵が何を考え、どんな手を打ってくるかを想像します。それなのに、現実では、誰かが裏で計画を立てたり、協力して何かを進めたりする可能性を、あまり考えないことがあります。
この違いは、どこから来るのでしょうか。
ゲームなら考えられるのに
ゲームでは、プレイヤーは登場人物の立場になって考えます。勝つためには何をするか。相手なら何をするか。どんな作戦が効果的か。
一方、現実では、誰が何を考えているのか簡単には分かりません。情報も限られていますし、想像したことが正しいとも限りません。
だからこそ、慎重になるのは当然です。
しかし、慎重になることと、最初から考えないことは違います。
現実に陰謀があると決めつける必要はありません。反対に、陰謀など存在するはずがないと決めつける必要もありません。
ゲームでは当たり前に使っている「相手の立場に立って考える」という視点を、現実でも少し使ってみる。それだけでも、物事の見え方は変わるかもしれません。
もし、誰かが自分たちの利益を守るために、表に出さずに協力しているとしたら。その存在や行動について、人々が考えなくなることは、その人たちにとって都合がよいかもしれません。
では、私たちが陰謀について考えようとしないのは、なぜなのでしょうか。もしかすると、陰謀組織に邪魔されているのでしょうか。
もちろん、そうだと決まったわけではありません。陰謀の話を否定する人が、陰謀組織の一員だということでもありません。
まとめ

ゲームでは、陰謀も謀略も、勝つための戦略の一つです。それなのに、現実では、そうした行動が存在する可能性そのものを考えなくなることがあります。
陰謀論を何でも信じる必要はありません。しかし、根拠のない話を否定することと、陰謀そのものを考える必要がないとすることは別です。
ゲームと現実では、何が違うのでしょうか。
その違いに目を向けることが、社会を別の角度から見るきっかけになるかもしれません。
